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大阪地方裁判所 昭和52年(ワ)7359号 判決 1980年10月27日

原告

近藤龍男こと金三龍

被告

岡村隆

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四七五万六五五〇円および内金四二五万六五五〇円に対する昭和四九年一〇月二四日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二請求原因

一  事故の発生

1  日時 昭和四九年一〇月二四日午前七時三五分頃

2  場所 大阪市西成区南津守五丁目四番三五号先道路(以下、本件道路という。)上

3  加害車 普通乗用自動車(泉五ら第一、五二七号)

右運転者 被告

右借用者 被告

4  被害者 原告(本件事故当時、満五四歳)

5  態様 加害車は、前方に駐車中の二台の車両を回避するため、右転把し過ぎ、センターラインを越えた所で、対向車線を走行して来た原告の自転車に対し、衝突した。

二  責任原因(運行供用者責任、自賠法三条)

被告は、加害車を借用し、自己のために運行の用に供していたものである。

三  損害

1  受傷等

(一) 受傷 全身打撲、頸椎捻挫

(二) 入通院

イ 入院―阪和病院に昭和四九年一〇月二四日から同五〇年二月一三日までの一一三日間、南津守医院に同五一年四月二日から同年七月三日までの九三日間、合計二〇六日間。

ロ 通院―本件事故日(同四九年一〇月二四日)から同五五年七月末日まで、実日数合計一、五一九日間

2  治療費―金二一二万五九一〇円

阪和病院分―金一〇九万三三〇〇円

南津守医院分―金一〇三万二六一〇円

3  入院雑費―金一二万三六〇〇円(一日、金六〇〇円の割合による二〇六日間分)

4  入院付添費―金五一万五〇〇〇円(一日、金二五〇〇円の割合による二〇六日間分)

5  休業損害―金一四一万七九五〇円

イ 単価―原告(本件事故当時、久保鉄工株式会社に勤務)は、労働基準法上の平均賃金(同法一二条参照)を、「算定すべき事由の発生した日以前三箇月間にその労働者に対し支払われた賃金の総額を、その期間の総日数で除した金額」(これによると、日額、金三三八六円)か、あるいは、「賃金の総額をその期間中に労働した日数で除した金額の百分の六十」(これによると、日額、金四一一〇円)の、いずれか多い方(したがつて、後者の方)とされた上で、労災より、その八〇%の支給を受けており、結局、原告の休業損害における実損害額は、次の算式のとおり、日額、金八二二円となるところ、右金額を単価として、請求する。

算式 四一一〇×(一-〇・八)=八二二

ロ 期間―本件事故日から現在に至るまで、継続して休業中であるが、本訴においては、前記入院日数および通院実日数の合計である一、七二五日分を、請求する。

ハ 金額―次の算式のとおり、金一四一万七九五〇円となる。

算式 八二二×一七二五=一四一万七九五〇

6  入通院慰藉料―金二八〇万円

7  弁護士費用―金五〇万円

8  合計―金七四八万二四六〇円

四  損害の填補―金二七二万五九一〇円

原告は、被告より(すなわち、労災からではなく)、治療費として金二一二万五九一〇円、休業損害として金六〇万円の、各支払を受けた。

五  本訴請求

よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(但し、原告は、いまだ治療中であるため、将来の休業損害、後遺障害に関する損害等の請求は留保し、請求の趣旨記載の金額を、全損害の一部として請求する。なお、原告は、本訴では労災より給付を受けた金員は、一切請求しない。)(但し、遅延損害金は、本件不法行為の日から民法所定年五分の割合による。)を求める。

第三請求原因に対する認否

請求原因一項1ないし4、二項、三項1(一)、同項2、同項5、イ、四項の各事実をいずれも認め、一項5の事実を否認し、その余の各事実はいずれも不知。なお、原告が被告より支払を受けた旨自認する治療費、金二一二万五九一〇円と本件事故との相当因果関係は、これを争わない。

第四被告の主張

一  原告の症状と本件事故との因果関係について

1  原告の症状は、加令現象、素因、原告の特別の心的要素、本件事故後異常に長期間続いている主訴ないし不定愁訴等、の諸点に照らすと、本件事故と相当因果関係を有するものではない。仮にそうでないとしても、その一部のみが、本件事故と相当因果関係を有するにすぎない、というべきである。

2  原告の症状は、諸般の事情に照らすと、遅くとも本件事故の一年後には、固定するに至つたもの、というべきである。

二  免責の抗弁

本件事故は、原告が、急にセンターラインをオーバーして対向車線(被告の進行車線)内に進入して来たことにより発生したもので、被告にとつては回避不可能であつた。したがつて、原告に過失が存しこそすれ、被告には何らの過失も存しない。なお、本件事故当時、被告の進行車線は交通量が少なかつたのに反し、原告の進行車線は通勤用自転車で大変混雑していたもので、被告の方からセンターラインを越えることは、到底できない状況にあつた。

それだけではなく、加害車に構造上の欠陥または機能の障害は、存しなかつた。したがつて、被告は、自賠法三条但書により免責されて然るべきである。

三  過失相殺の主張

仮にそうでないとしても、前記のとおり、原告に、センターラインオーバーの過失が存したことは明らかであるから、相応の過失相殺を主張する。

第五被告の主張に対する原告の答弁等

二を否認し、三を争う。本件事故現場は、片側に歩道が存するだけで、駐車々両が極めて多く、また、付近にある佐野安造船株式会社等に対する自転車ないし徒歩による通勤者の多い(特に、本件事故時=午前七時三五分頃=は、然り。)、場所であつて、加害車以外は、これらの通勤者の通過を待つて通り抜けていたところ、加害車は、前方の駐車々両にのみ気をとられ、右車両を回避するため、停車も徐行もせず、漫然、センターラインをオーバーした上、右通勤者の中に進入し、原告を負傷させるに至つたもので、本件事故の発生は、被告の一方的過失に基きこそすれ、原告には何らの過失も存しない。

第六証拠〔略〕

理由

第一事故の発生

請求原因一項1ないし4の各事実は、いずれも当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない乙第一号証(但し、後記採用しない部分を除く。)、被写体と撮影年月日、時刻について争いのない検甲第一号証の一ないし一四、原、被告各本人尋問の結果(但し、各後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、本件事故の具体的態様は、以下のとおりであると認められる。すなわち、本件道路は、市街地に存する、南北に走る、アスフアルト舗装された、平坦な道路で、センターラインによつて北行車線(その幅員は、約五・二メートル)と南行車線(その幅員は、約四・七メートル)に区分されており、南行車線の東側には幅員約二・五メートルの歩道が付帯していたが、北行車線の西側には歩道は存せずその西側端はコンクリート塀となつていた。しかして、北行車線における前方(南から北)に対する見通しは良好で、法定制限速度は時速三〇キロメートルであつた。ところで、本件事故当時路面は乾燥しており、また、前記コンクリート塀沿い(したがつて、北行車線西側)には帯状(その幅員は、約一・六メートル)に連続して駐車々両が存在した。なお、右当時、南行車線上には、時刻(朝の七時三五分頃=争いのない事実=)柄、佐野安造船、名村造船、藤永田造船等に向つて通勤中の労働者達の自転車や単車が、多数群れをなして走行しており、相当混雑した状況下にあり、中には、対向(北行)車線上にまではみ出して走行している単車等も、見掛けられたが、その反面、北行車線上には、主に乗用車が走行していたにとどまり、その車両数もそれ程多くはなかつた模様である。

さて、被告は、加害者を運転して、少くとも時速三〇キロメートル以上で、北行車線上を(但し、前記のとおり、進行方向左=西=側には駐車々両が存したため、比較的センターライン寄り=東寄り=の所を)北進中、前(北)方約二六・九メートルの辺り(但し、南行車線上)を走行中の、原告運転の自転車を発見したが、右記のとおり、同自転車が南行車線上を走つていたため、特に危険を感知せず、さらにそのまま約六・九メートル進行した後、再度、同自転車の方を見たところ、同自転車が前方約一六メートルにしてかつセンターライン上を跨つた所を走行しているのを認め、危険を感知するに至り、直ちに急制動の措置を講じたが(但し、前記駐車々両が存したため、左=西=転把の措置は講じなかつた。)、及ばず、さらに約一三メートル進行した所で、加害車前部中央付近を、同自転車前輪付近に衝突させ、同自転車を前(北)方約四・五メートルの所に跳ね飛ばすに至つた。しかして、右記衝突地点は、東宝タクシーの北側出入口の前付近にして、かつ、佐野安造船の入口よりも北方(すなわち、原告の進行方向=南方=よりすると、手前)の所、なおかつ、前記コンクリート塀の西側端より東方に約三・七メートル、すなわち、センターラインより西方に約一・五メートル、の所(因に、加害車の右=東=側端がセンターラインより西方に約〇・七六メートルの所)であつた。なお、前記通勤中の自転車等のうち、佐野安造船に向つていた者は、同造船の自転車置場入口が進行方向左(東)側に存したため、自然と、南行車線左(東)寄りの所(すなわち、センターラインから離れた所)を走行するようになつており、したがつてまた、同造船以外の勤務先に向つていた者(原告も然り)は、自然と、進行方向右(西)寄りの所(すなわち、センターライン寄りの所)を走行するようになつていた模様(原告も然り)である。しかして、原告は、本件事故当時、瞬間的に、センターラインをナーバーしてしまい、加害車の存在に気付いたのは、前記衝突の直後であつた。

因に、加害車の急制動までの時速が少くとも時速三〇キロメートル以上であつたと認定した理由は、次のとおりである。すなわち、<1>加害車は、急制動後停止するまで、約一四・七メートル走行している(乙第一号証、参照)ところ、乾燥した良好な道路における、制動距離と時速との関係を示す、最も単純な計算式は、制動距離イコールV2/100(Vは時速)(なお右計算式は、公知の事実)であるから、右計算式に基いて加害車の時速を算出してみると、約三八・三キロメートルとなること。<2>被告自身も、急制動の直前まで、時速約三〇キロメートルで走行した旨、供述していること(被告本人尋問の結果、参照)。以上の理由により、前記のとおり認定した。

また、前記衝突当時、加害車の右(東)側端が、センターラインより西方に約〇・七六メートルの所であつたと認定した理由は、次のとおりである。すなわち、前記のとおり、北行車線の幅員は、約五・二メートル、前記衝突当時における、北行車線の西側端から加害車前部中央付近(衝突部位)までの距離は、約三・七メートルであり、また、加害車の車幅は、約一・四八メートル(乙第一号証、参照)(したがつて、前記加害車の衝突部位を単純化して右記車幅の中点とすると、右記中点から加害車右=東=側端までの距離は、約〇・七四メートル)であるところ、次の算式(但し、各数値は、いずれも「約」である。)によると、加害車の右(東)側端からセンターラインまでの距離は、約〇・七六メートルとなる。

算式 五・二-(三・七+〇・七四)=〇・七六

以上の理由により、前記のとおり認定した。

以上の事実を認めることができ、これに反するかのような乙第一号証の一部、これに反する甲第四号証、原、被告各本人尋問の結果の各一部は、いずれも、前掲証拠と対比し、採用ないし措信せず、他に右認定に反する証拠はない。

第二責任原因(運行供用者責任、自賠法三条)

1  請求原因二項の事実は、当事者間に争いがない。そうすると、被告には、自賠法三条本文により、後記免責の抗弁(同条但書)が認められない限り、本件事故に基く原告の損害を賠償する責任がある。

2  免責の抗弁について

前記第一で認定した事実によれば、被告としては、自己の進行(北行)車線左=西=側には帯状に駐車々両が存在し、そのため右記車線の有効幅員が狭くなつていたため、比較的センターライン寄り=東寄り=の所を走行しなければならなかつただけではなく、対向(南行)車線上には時刻柄多数の通勤中の自転車等が走行しており、中には北行車線上にまではみ出して走行している単車等も存したのみならず、既にその前方約二六・九メートルの地点に原告の自転車を発見していたのであるから、前記多数の自転車等や右記原告の自転車が何かのはずみでセンターラインをオーバーする等の、不側の事態に備えて、相応の減速をした上、加害車をできる限るセンターラインより遠ざけて進行させ、万一の場合には左(西)転把の措置を講ずる等して、事故の発生を未然に防止すべき注意義務が存したのに、これらを怠り、漫然、時速三〇キロメートル以上のまま、とりわけ加害車をセンターラインより遠ざけることもせず進行した上、衝突を回避するための左転把の措置も講じなかつた等の過失により、本件事故を発生させたものであることが明らかである(すなわち、被告が、加害車の運行に関し、注意を怠らなかつたことを、認めるに足りない)から、その余の点に触れるまでもなく、被告の免責の抗弁は、理由がない。したがつて、被告には、前記のとおり、原告の損害を賠償する責任がある。

第三損害

一  受傷等

(一)  受傷―請求原因三項1(一)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  入院―成立に争いのない甲第二号証の一、一二ないし一五によると、請求原因三項1(二)イの事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(三)  通院―成立に争いのない甲第二号証の二ないし一一、一六ないし二九、同第八号証の四、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二号証および弁論の全趣旨を総合すると、原告の、本件事故日(昭和四九年一〇月二四日)から同五五年七月末日までの通院実日数は、一、五一三日(但し、その内、一日は、入院日と重複している。)であることを認めることができ、これに反する程の証拠はない。

(四)  治療経過、原告の現症、等

成立に争いのない甲第二号証の一ないし二九(但し、同号証の一四については、後記採用しない部分を除く。)、同第七号証、同第八号証の四、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第二号証、鑑定人大石昇平の鑑定の結果(但し、後記採用しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。すなわち、

A 原告の、本件事故日から昭和五五年七月末日までの、治療期間、治療内容、通院実日数の具体的内容、等は、別紙「治療経過一覧表」に記載のとおりであつた。

B また、原告に対する阪和病院(本件事故直後の入院先)の所見は、次のとおりであつた。

1 原告は、本件事故による衝突の瞬間はわからなかつたものの、直ちに意識を回復したもので、中枢神経系統における器質的障害は勿論のこと、骨折、その他の臓器、組織における器質的損傷すら、これを認めることは、できなかつた。なお、身体各部のX線写真によつても、骨折は、認められなかつた模様であり、脳波所見も、正常であつた。

2 原告は、本件事故直後から、左足首、右膝について、痛みを訴えていた。

3 原告はまた、耳鳴り、難聴等を訴えていたが、これらは、神経性難聴(感音性難聴)である旨、診断された。なお、鼓膜、外耳道等における異常は、認められず、内耳(前庭)における障害も、存しなかつた。

4 原告には、遠視性乱視、老視、眼精疲労が、各認められた。

C なお、南津守医院医師橋村忠男の同五四年六月一五日付証明書(甲第七号証)によると、原告は、右証明書作成当時もなお、著しい脳神経症状を訴えており、長期にわたる精神々経療法の必要が認められた、という。

D さらに、同医師の同五五年一月一四日付証明書(前記鑑定の結果の一部)によると、原告の病状経過には、著しい起伏があり、なおも遷延して、右証明書作成当時も就労不能の状態にあり、殊に、不安、不眠、精緒の不安定等の不定愁訴が、高度に認められた、という。

E ところで、原告の、同五五年一月三〇日から同年二月二〇日までの間における、主訴は、次のとおりであつた。

1 気が、いらいらする。

2 頭、頸部が痛むと、眼がくしやくしやして、眼が見えなくなり、天気が悪いと、眼がかすむ。

3 腰が痛くて、朝起きられない。

4 乗り物に乗ると、吐気がする。

5 右膝、左足首が痛む。

6 歯が抜けて、痛む。

F さらに、原告の、鑑定時(同年三月六日)における、現症は、次のとおりであつた。

1 顔面―痛みを訴える時に、顔をしかめる(但し、その表現は、過剰)ほかは、ほぼ正常で、顔面筋肉の麻痺その他の異常は、認められない。

2 頸部の運動―左右側屈のみが、痛みのためか僅かに制限されるほかは、前後屈、左右回旋共、ほぼ正常である。

3 背柱―その全体には、視診上変形は認められず、その運動領域も、躯幹の前屈時における指先と床面間の距離は二〇センチメートルであつて、原告の年齢に照らして正常範囲に属している。

4 両上下肢―原告は、両上肢の運動の検査時において、痛みのためか、両肩関節の前方、側方共、水平以上の挙上は困難であると称して、他動的運動に抗して挙上せず、また、両下肢の運動領域の検査時においても、股、膝等の関節の痛みのためか、各筋肉を緊張させて、その測定を困難ならしめている

5 四肢各関節の運動―原告は、その検査時において、痛みのためと称して、他運動領域の測定を困難ならしめているものの、診察場における、衣服(丸首シヤツも含む。)、皮靴の各着脱、シヤツのボタンかけを、いずれも正常に行い、右検査時におけるような運動制限を、全く示さない。

6 両手指の運動―正常であつて、振頸、不随意運動等は、認められない。

7 右膝、左足首―外見上も、廊下を歩行する時の歩容も、全く正常である。したがつて、原告の、これらに対する自発痛の主訴には、疑問が抱かれる。

8 X線写真―第六、第七項頸椎および腰仙椎の各椎間々隙に僅かな狭小化が認められるものの、これは、加齢による退行変性と考えるべきもので、そのほかには、右膝、左足首にも、何らの異常も、認められない。

9 脳波所見―異常は、認められない。

10 血液化学的検査、赤沈値―いずれも、異常は、認められず、リウマチ性疾患は、否定できると考えられる。

11 皮膚知覚検査―原告は、両手部にシビレ感、右膝、左足首に自発痛を、各訴えているが、躯幹、四肢における筋萎縮は、認められない。

12 圧痛点―大後頭神経、大耳介神経、三叉神経に圧痛を認める(右側が、左側と比較して、やや著明である。)。なお、原告は、頸椎棘突起両側縦走筋群、僧帽筋、その他の頸部諸筋群に圧痛を訴えているものの、筋硬結等の他覚的所見は、認められない。

13 腱反射―両側上下肢において、両側の膝蓋腱反射がやや亢進しているが、その他の各腱反射は、正常であつて、病的反射は、認められない。

14 平衡機能―正常であり、障害は、認められない。

15 書字―原告の書体は稚拙であるが、不随意運動による筆跡の乱れ等は、認められない。

16 言語―正常である。

17 耳鼻科―両鼓膜、鼻腔、咽頭における異常は、特に認められず、軽度の難聴は、認められるものの、診察に必要な程度の会話には全く支障がなく、最悪の聴力測定値を採つても、身障の対象外である。なお右難聴の原因としては、本件事故以外に、職歴(トンネル工事、溶接等)、加齢等が、考えられるだけでなく、右聴力測定値の動揺が激しい点に照らすと、訴病の疑いも、存する。

18 眼科―軽度の遠視性乱視が、認められるが、外傷性のものとしても、労災法規上、補償の対象外であり、また、視野は、左右共正常であり、眼底には、著変が認められない。

19 まとめ―整形外科的に納得できるものとしては、典型的な頭頸部の圧痛点位であつて、四肢の痛み、その他については、器質的障害は認められず、そのほか、軽度の視力および聴力各障害が存するものの、概ね、心因性反応が加つた、過大な主訴(愁訴)、天候による増強等に起因する、多彩な不定愁訴にすぎず、他覚的所見に乏しい。

G ところで、

1 外傷性頭頸部症候群のうち、バレー症状型とは、次のような内容のものを指称する。すなわち、その本態を後頸部交感神経の刺激症状とする(但し、いかなる経路を経て右症状を呈するに至るかについては、未だ推定の域を出ていない。)、多彩な不定症状(多い方から順次記載すると、頭痛=八〇・六%=、めまい、耳鳴り、悪心、眼痛、視力低下の順となる。なお、そのほかに、耳の症状、微熱、鼻出血等が存する。)のことである。ところで、これらの症状の多くは、他覚的所見に乏しく、自覚的、主観的愁訴を主としているのみならず、長期間持続して慢性化の傾向をとり易いので、しばしば、詐病であるとか神経症であるように見誤られる。因に、バレー症状型の患者が、実際に神経症を加重して来ることも稀ではなく、益々、本症を長期化、慢性化させている。

2 原告の前記各症状は、一応、右記バレー症状型に該当するもの、と考えられる。

H また、

1 外傷性神経症とは、外傷を動機として起つた精神々経症、外傷に起因して心因性発展した症状のことをいい、器質的障害を伴わないことも、また、素因が加わることも、ある。

2 前記Cに照らすと、原告が、外傷性神経症を併発している可能性も、存する。

I しかして、

1 バレー症状型は、前記のとおり、その症状が固定するまでの間、長期化する傾向にあり、殊に、高齢労働者の場合に、その傾向が強い。その理由としては、主治医が患者の多彩な不定愁訴のために症状固定とすることを躊躇し、治療をマンネリ化させ、徒らに、長期的治療を継続すること(尤も、主治医と患者との人間関係に照らし、やむを得ない点も、存する。)、患者が治療の打ち切りに対して防禦的心情を示すこと、等が考えられる。しかしながら、中部労災病院小菅副院長の文献によれば、バレー症状型の患者二四六例中、治療期間が一年以上にわたるものは、僅かに七・七%にすぎない。

2 ところで、前記橋本医師は、同五〇年七月一七日付診断書(乙第二号証)において、原告の症状に対し、同月末日治癒見込と診断しているが、これは、本件事故約九ケ月の右時点を、この種外傷の平均的治療期間として予測したもの、と考えられる。然るに、予期に反して、原告の症状は好転せず、同医師は、原告の多彩な不定愁訴(しかも、右愁訴は、本件事故後五年余を経た段階では、むしろ、加齢現象も加わつて、増悪している可能性も、存する。)に基いて、その後もやむなく治療を継続して来たものと推測される。しかしながら、原告の症状は、起伏はあつたにせよ、相当以前から、同じような状態を繰り返して来たもの、と推測され、少くとも、前記鑑定時において、労災法規的には、症状固定に至つているもの、と考えられる。

J ところで、原告の症状は、一応、本件事故に起因するもの、と考えられるが、前記外傷の程度に照らすと、その治療期間は長きに失する、というべきで、加齢的退行変性、素因および心因的要素(仕事から離れていることの焦り等)が、寄与している可能性も、存する。

以上の事実を認めることができ、これに反するかのような鑑定人大石昇平の鑑定の結果の一部、これに反する甲第二号証の一四の一部、甲第八号証の三、原告本人尋問の結果は、いずれも、前掲証拠と対比し、採用ないし措信せず、他に右認定に反する程の証拠はない。

(五)  本件事故との因果関係

以上(一)ないし(四)に認定した事実を総合すると、原告の前記症状は、本件事故による受傷(全身打撲、頸椎捻挫)に基く続発的症状として発現したものの、原告 諸々の精神状態(治療の打ち切りに対する防禦的心情、仕事から離れていることの焦り、等)に起因する心因性反応によつて、二次的に、外傷性神経症に移行し、さらに、これに原告の素因や加齢的退行変性等の要因も加つて、増悪、遷延化するに至つたもの、というべきである、と考える(すなわち、原告の前記症状を、詐病であると判断することは相当ではない、と考える。)。

ところで、右記外傷性神経症とは、前記認定事実によれば、外傷を動機として心因性発展したものである、というのであるから、これと本件事故との間における因果関係の存在を否定し去つてしまうのは、相当ではなく、むしろ、右記外傷性神経症における原告の心因性加功の度合、前記素因や加齢的退行変性等の程度、前記受傷の内容と程度、治療経過、治療内容、入通院期間、その他の諸点を総合考慮の上、相応の期間および割合に各限定した原告の損害額(但し、後記のとおり、治療費を除く。)をもつて、本件事故と相当因果関係の存する損害である。と判断するのが相当であると考える。

そこで、まず、右記期間について、考えてみると、前記認定事実によれば、原告の前記症状は、起伏はあつたにせよ、相当以前から、同じような状態を繰り返して来たものと推測されるのみならず、その外傷の程度に照らすと、治療期間は長さに失し、しかも、加齢現象も加つて、本件事故後五年余を経た段階では、むしろ、増悪している可能性も存するところ、これをさらに、前記「治療経過一覧表」に即して、観察してみると、原告に対する治療内容は、第二回入院以降の方が、第一回入院以降よりも、まず、投薬量において微増し、次いで、新規に、従来の、投薬、静脈注射、頸(頸項)部処置、牽引のほか、皮下筋肉注射および腰部処置が付加され、結局、原告の前記症状は、時の経過と共にやや増悪していることが明らかであるのみならず、昭和五二年三月から同年八月までの六ケ月間における月間平均の治療内容は、投薬量において概ね七〇ないし八〇単位、静脈注射において概ね二五回前後、皮下筋肉注射において概ね四、五回前後、頸(頸項)部処置および腰部処置において概ね二五回前後、牽引において概ね二五回前後、さらに、月間通院実日数は、概ね二五日前後と、各なつていて、右記六ケ月間、ほぼ同一の治療内容が繰り返されていることもまた、明らか(因に、同年九月以降の治療内容は、証拠上不明であるが、右記九月以降の月間通院実日数が、概ね二四、五日前後となつている事実に照らすと、右記治療内容の繰り返しの状態に、著変は存しなかつたもの、と推測される。)である(すなわち、原告の前記症状は、右記三月以降において、第一回入院以降に比し、若干の増悪を伴いつつ、安定状態を保持するに至つていることが、明らかである)から、原告の前記症状は、遅くとも、本件事故より満三年後の同年一〇月二四日には、固定するに至つたもの、と判断して差し支えない、と考える。

次に、前記割合について、考えてみると、前記の、受傷の内容と程度、外傷性神経症における心因性加功の度合、素因や加齢的退行変性等の程度、その他の諸点を総合考慮すると、本件事故が原告の前記症状に寄与した割合は、多目にみても半分強ないし四分の三以下、すなわち、七〇%程度にすぎないもの、と判断するのが相当である、と考える(因に、原告の前記症状が、前記のとおり、時の経過と共にやや増悪している事実に照らすと、逓減方式を採ることは、相当ではない、と考える。)。

以上を要するに、期間を本件事故日より同年一〇月二四日までの三年間、割合を七〇%、と各限定した原告の損害額(但し、後記のとおり、治療費を除く。)をもつて、本件事故と相当因果関係の存する損害というべきである。と考える。

二  損害費目

(一)  治療費―金二一二万五九一〇円

請求原因三項2の事実は、当事者間に争いがない。

しかして、弁論の全趣旨(被告が、答弁書において、右治療費を、無限定で支払済である旨主張し、かつ、最終口頭弁論期日において、当裁判所の釈明に対し、右治療費と本件事故との相当因果関係を争わない旨陳述していること、等)を総合すると、右治療費の全額が、本件事故と相当因果関係の範囲内にあるものと判断するのが、相当であると、と考える。

(二)  入院雑費―金七万二一〇〇円

前記認定事実によれば、原告の入院期間は合計二〇六日間であつたことが明らかであり、本件事故当時の入院雑費は経験則上一日、金五〇〇円とするのが相当であるところ、前記のとおり、その七〇%が本件事故と相当因果関係を有するにすぎないから、結局、次の算式のとおり、金七万二一〇〇円となる。

算式 二〇六×五〇〇×〇・七=七万二一〇〇

(三)  入院付添費―零

原告が、右入院期間中、付添人を必要としたことを認めるに足る証拠は存しないので、これを肯認するに由なきものである、と考える。

(四)  休業損害―金五二万五三四〇円

1 単価―請求原因三項5イの事実は、当事者間に争いがない。そうすると、原告の休業損害の単価(但し、労災給付分を除く。)は、一日、金八二二円となる。

2 期間―右期間は、前記のとおり、本件事故日から昭和五二年一〇月二四日までの間(しかも、その七〇%)に限り、本件事故と相当因果関係を有するにすぎないところ、原告は、本訴においては、そのうち、入院日数および通院実日数についてのみ、その請求をしているにすぎないので、結局、右期間は、前記認定の、入院日数二〇六日間、同日(但し、証拠上、右一〇月二四日までの通院実日数は、不明であるため、近似値として、一〇月末日までのそれを、用いることにする。)までの通院実日数七〇七日間、合計九一三日間となる。

3 金額―次の算式のとおり、金五二万五三四〇円となる。

算式 八二二×九一三×〇・七≒五二万五三四〇(小数点以下切捨)

(五)  慰藉料―金二〇〇万円

前記認定の、本件事故の態様、受傷の部位と程度、入通院期間(特に、その長期性)、本件事故と相当因果関係の範囲内にある前記期間と前記割合、年齢、職業、その他諸般の事情を総合考慮すると、金二〇〇万円とするのが、相当である、と考える。

(六)  総損害額―金四七二万三三五〇円

第四過失相殺

前記第一で認定した事実によれば、被告に前記過失が存したことは勿論であるが、他方において、原告にも、瞬間的とはいえ、センターラインをオーバーする等の過失が存したことも否定し難く、しかも、右過失が、本件事故の発生の一因を成していることは明らかであるから、前記の被告の過失の態様、その他諸般の事情(南行車線の幅員、通勤時の混雑、等)も総合考慮の上、少くとも、原告の総損害額(但し、労災からの給付分は、過失相殺の対象外である、と解するのが相当であるから、これを除外してある。)の五五%を減ずるのを相当と考える。そうすると、原告の過失相殺後の損害額は、次の算式のとおり、金二一二万五五〇七円となる。

算式 四七二万三三五〇×〇・四五≒二一二万五五〇七(小数点以下、切捨)

第五損害の填補―金二七二万五九一〇円

請求原因四項の事実は、原告の自認するところであるから、原告の右過失相殺後の損害額から右填補分を差し引くと、残損害額は、零となる。

第六弁護士費用―零

第七結語

以上の次第で、原告の本訴請求は、結局、理由がないから、失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳澤昇)

(治療経過一覧表)

<省略>

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